気まぐれ日記

伝えたいこと、そのままに。
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滋賀心理カウンセリングでモラハラやパワハラ、セクハラ問題。豊田や一宮、豊橋から-20

2022年の大みそかの日記

滋賀心理カウンセリングです。

早いもので今年も今日で終わりです。

日記の更新が今年はこれで4回目と少なかったんですが、

「最近あんまり書いてないですね」って言われることが12月だけで何回もありました。

ありがとうございます。忙しかったなんてのは理由になりませんよね。すみませんです。

とは言え今後も頻度は上がらないかもしれません。だって忙しいんですもの。。。

さてさて、

最近は最近でコロナの影響があってか関係ないのか改めて人間関係の問題が多い気がしています。

一言に人間関係と言っても幅が広くて、

学校、友達、職場、夫婦、親子、カップル、親戚、近隣住民、先輩後輩、年上年下など関係性は多岐に渡ります。

その中でも増えてきてると感じるのがキーワードとして『マッチングアプリ』と『知り合い程度』です。

マッチングアプリで異性(同性)を探すのはもはや常識のようで、それについての是非はここでは割愛するとして、

マッチングアプリで誰かと知り合おうとするって積極的だなーって思いながらいつも聞いてるんですが、その割には「知り合ってから困る」という人がとても多いんです。

初対面での見た目や振る舞いを気にしたり、2回目の行き先や話題を気にしたり、3回目以降の遊び方や過ごし方などや、趣味嗜好をどこまで話していいのかな等、みんな悩んでますね。

ウチは結婚相談所じゃなくカウンセリングなのでカウンセラーの立場として聞くんですが、ちょっと不思議な人が多いんです。

マッチングアプリやるって積極的と思うけど、本人は意外と消極的。

マッチングアプリやるって自信家だなーと思うけど、本人は意外と自信なし。

マッチングアプリやるって余裕あるなーと思うけど、本人は意外と余裕ない。

なのになぜやる???

何十人か、そろそろ100人を超えるぐらいの相談者から「マッチングアプリしてる(した)んですよ」という、出会い(後)に関して聞いてきて思うのは、

たぶんどれも普通にその通りで

消極的で自信なくて余裕もない。でも出会いたい。だからこそ出会いたい。みたいな感じですね。

男女ともに寂しがりだったり、甘えたかったりということのようです。

うーん。

それで大満足な出会いができるものなのか・・・

マッチングアプリで知り合って付き合う・結婚する人たちは浮気率・不倫率が高いという結果が出てるし、

マッチングアプリで知り合ったら、またそのうち「もっと良い人いないかな」ってならないんですかね?思っても普通なような。実際に浮気相手を探す方法としてマッチングアプリを使う人も多いらしいし。

あと女性に絶対に言うのは「男は全員が下心で出会おうとしてると思っていいぐらいだからマジで慎重にね。簡単にイチャついたらアカンよ」ですが、どうでしょうか。余計なお世話なんでしょうか。もちろん誠実な男性もいるとは思いますが。

色々と心配ではありますが、「でもだって知らん人と知り合う方法がないんやもん」とみんなが言う時代なので止めようもなく、徐々にマッチングアプリそのものを良しとするしかないんだろうなとこちらが肯定的になってきてはいるんですが。。。

ただ、もちろん味方なので理解して応援はしたいから『せっかく縁あって誰かと知り合うなら、良い出逢いになりますように』という気持ちもあります。

とにかく、性的にも防犯の意味でも慎重に。もちろん信用するにも恋愛するにも慎重に。



で、もう一つに繋がるんですが、「知り合い程度の人との関わり方」が苦手と言う人が激増しています。

学校や職場でも、場合によっては親戚でも「別に仲良くする必要ないし」と、平気で『我、関せず』で、知り合いだけど人付き合いはしてないということがあまりに多いみたいだし、それがみんな当たり前になってるようです。

よくそんなんでマッチングアプリで知り合おうとするなぁ。うまくいく想像できるんかな。。。と思いますが

わかってないようでわかってるような、わかってるようでわかってないような感じで『人間関係の矛盾』は考えない人が多いです。

個人の自由なので年寄り臭い説教のような話はしませんが、不思議です。

職場であんまり喋らない。近隣住民とも別に仲良くない。身内の集まりも最低限。だって別に仲良くしたってしょうがないもん。

そんなんで

いざ協調性が要る場面になったら?

それなりのレベルでの会話を求められたら?

それこそ異性と適度に気を遣って知り合う時にうまくやれるのか?

コミュニケーションを避けてきた人生で「人付き合い苦手なんです」って、当たり前よね?

・・・できる訳がないと思うんです。

準備や経験が少なすぎる。でも本番では都合よくうまくやりたい。って、そりゃ難しくないかい?

と、話を聞いてて密かに思うことがしょっちゅうです。

心の中で思うだけなのは失礼なので、言い方を考えてちゃんと思ったそのままを伝えます。

そしたらみんな「あぁ、なるほど、いや、そりゃ確かにそうですよね・・・」と反応してくれます。

でも実はみんな悪くないんです。

誰がどう悪いかと言うと、教育です。

だって親がそうなんだもの。世の中がそうなんだもの。って場合が多い。

どんどん閉鎖的になって、人より自分。協調性より我。奉仕より甘え。人には短気で厳しいのに自分はすぐ疲れて弱る。何かあれば辞めたい。

自然にそれが当たり前の世の中になってるんだから、そう仕上がって当たり前。

人によっては消えたい死にたいとまで思ってしまう。。。

全年代それなりにみんな色々ありますが、若かったら若いほど大変だと思うし、実際カウンセリングに来てくれる人の年代や話題などの統計を見るとそういう結果が出てます。

もちろんしっかりしてる人もいるし、優れてる人もいます。有能な人もいるし、良い親に良い教育をちゃんとされてる人もいます。経済的な余裕の有無と人間性は別ですし。

ちゃんと良い意味で普通に明るくて元気で健康でポジティブな、普通の人もいます。

ただ、平均学力が下がってるだけじゃなく、運動能力や体力も下がってるだけじゃなく、人間性も浅薄狭量にならざるを得なかった人が激増している現実が確かにあります。

「普通ってなに」「頑張れって言われたらツラい」「親ガチャ失敗」とか言ってるレベルの人はしっかりしましょう。

そもそも

保護者の存在感がもう昔とは別物、そして先生は生徒に気を使って事なかれ主義で無難に過ごすしかなくなってる教育環境、さらに順位を付けない教育。イジメゼロという嘘を市に報告したり目標にするようなズレた考え方の学校方針のところまである。学力が下がって当然です。

「ボール禁止」ですらどうかと思うのに「うるさいから公園で遊ぶな」と言われだしている子供たちはどこで運動すればいいのかわからないような時代。運動能力が下がるのは当然すぎる。

今後どうなっていくんでしょうね。。。

優しくされることだけを望むとか、自分が頑張りやすい課題だけを欲しても難しいことが多すぎます。みんながそれでは成立する訳がない。でもそう考えるのが普通みたいになっていってる世の中。

わからない、できない、届かない、好かれない、うまくいかない、そういう現実を突きつけられる機会があまりにも多すぎる。

なのでしんどくなる気持ちもとてもわかるんです。

最近は一周回って「新社会人はもっと先輩にちゃんと叱って指導してほしい」という意見が多いとニュースになってました。子供はいつも大人に振り回されています。

自分に甘く他人に厳しい。簡単に弱音を吐くし、簡単に他人に文句を言う。それが普通。そんなの、みんなが閉鎖的になって明るい将来を思えないのは当たり前ですね。

そんな教育をされてきたことが間違いなんです。

別に政治的な話がしたい訳ではないですが、何をどうすればいいんでしょうね。。。

カウンセリングルーム大忙しです。みんなが苦しむ気持ちがとてもよくわかります。



あと最近よく思うのが『純粋にもっと弱くなってる人が多い』です。

どういうことかと言うと、不満や文句、逆恨みや不運を嘆くという反発的というか攻撃的な弱り方ばかりではなく

最近は「ホントに自分はダメなんです」「どれだけ頑張ってもできない、わからないんです」「自分が下手なので周りに迷惑をかけてしまうんです」「ついていけない、合わせられない」「自分が悪いんです」

辞めたい、逃げたい、変わりたい、消えたい、死にたいと言う人にも気持ちの種類があって、世を妬んだり恨んだりよりも根っから自信がないとか元気がないという人がとても多くなってるんです。

しんどいなぁ。。。

自分の内側ばかり向いて、自分がダメなんだという考え方ばかりしてしまう。

本人がどういうレベルなのか、どういう器なのか以前に、そんなん気にしてる時点でしんどい。

いくら気にしたところで、気にしてるのは自分ばっかりで他人はそれほど本人を気にしてない場合が多い。

そもそもどれだけ気にしたところで何も良くなりはしない。

というか

自分でウイークポイント(弱い部分)を気にしすぎてることが原因で、だから必要以上に自信がない部分が悪目立ちしてしまって損や不運を起こしてしまうような考え方なのに、

「自尊心が低い」とか「自己肯定感が低い」とか、ありきたりで無意味な言い訳に捉われすぎて下手さばっかりに目を向ける人が多すぎて悲しくなります。

全然そんなこと気にしなくていい。気にしたらするだけ損。わかってても気にしてしまう。そういう癖が身に沁みついてる。なぜか思い込んで不器用に縛られる。

でも考えてしまう。勝手に頭に浮かんでくる。それもわかる。

学校や職場、家庭ではそれを理解してくれる人はあまりおらず、というかみんなが少なからず同じような感覚を持っているから実は「そんなんえぇからちゃんとやってよ」と、実は心の中では冷たくあしらわれていたり、そういうふうに思われてるんじゃないかと感じてしまっていたりで余計に悪循環。だからどうしていいかわからなくなる。

理解しあってるようで、実は無言で責め合っていたりしてる。

怖いのは、「そんなんえぇからちゃんとやってよ」と思われると嫌なのに他人には思ってしまう人が増えていること。

そして問題の本質がわかってないからどれだけ考えても答えが出せない。なのに悩んで弱って泣く。そういうパターンがとても多い。良くなりようがない悪循環です。

ツラく聞こえるかもしれませんが、厳しくズバリ言えば現実はこういうことです。

実はもっともっとシンプルに何も考えず明るく元気に過ごしていればいい。不器用でも失敗しても次また頑張ればいい。

みんな小学生の頃はそういう能天気な子だったでしょう。

それだけでいいんです。そのままでいてよかったんです。

でも下手な学習や下手な経験をしてきて不要な思い込みがあることで、『何をしても、何があっても弱る一方』な受け取り方しかできなくなってしまってる人が多い。

人付き合いも恋愛も子育ても自分勝手な人が多くて疲れる。でも実は相手も自分もそうなってしまってる。

それを、解消させてあげたい。

元々は純粋で単純だったのに、弱らされてるんです。弱る癖を付けられているんです。でも要らないんです。

アドラー的に現代の大衆心理を解釈するとこういうことです。

できればできるだけ、せめてウチが関わる人たちには少しでもラクに上手になっていけるようフォローしていければと相変わらず思います。

差し当たって2023年。

何がどうすぐに変わるということはないにしても、去年と変わらず、今年と変わらず、最善を尽くしていきます。

ということで2022年お世話になりました。

ちょっと早いですが年明けの更新はしないのでここでご挨拶を。

明けましたらおめでとうございます。

2023年もよろしくお願いいたします。

滋賀心理カウンセリングでした。

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