「死にたい」と言われた時の反応の仕方。
【滋賀心理カウンセリング】です。
カウンセラーが集まる交流会に参加してきました。
※スーパーソーシャルディスタンスで、もちろん密にならないよう最大限の予防と警戒をしてました。
やはりコロナ関連の話題は出て、
それから各自の考え方や話の聴き方、捉え方、理解の仕方などを話し合いました。
その中で面白かったというか興味深かったのが、「死について」でした。
例えば、死にたいという人がいる。生きたくないという人がいる。
実は「死にたい」のと「生きたくない」のは大きく違う場合があるので一緒にはできないんですが、
今回のテーマはそこではなく、
「死にたい」という人へ理解を示すことは悪か善か?でした。
安楽死の議論ではないし、意見のぶつかり合いでもなく、
同情に堪えない境遇の人に、「それでも生きろ」って、どんな気持ちで言える?というような。
もちろん言うべきなんです。言わないとダメなんです。
けど、
一緒に職場に行って近くで守ることはできない。
介護や看護を手伝ってあげられる訳じゃない。
育児や子育ても代わってあげられない。
暴力を振るわれるのをわかってて家に帰る人を引き留められない。
具体的には書けないけど「死んだ方がマシ」とか、「そりゃ死にたくなるわ」という話っていっぱいある。
それでも。
カウンセラーだから。
人間だから。
「わかるけど、とにかく死ぬのはダメ」って言うのって・・・
実はめっちゃ無責任だよなぁ、と。
もちろん、
死ぬことなんて考えないように気持ちを元気にしてあげるとか、
現実的に考え方や逃げ方、避け方、乗り越え方を話していって自然に最悪の時期が過ぎていくように味方でいることとか、
カウンセラーとして役割はあります。
とは言え、です。
–
ちなみに私自身、18歳ぐらいの時かな?
失恋を理由に「もう死のうかな」って友達に言ったことがあります。
一番の友達です。人生で唯一の1回だけ。
「もう死のうかな」って言ったら、その友達は
普通に困った顔して、
「どうしても死ぬとしても、最後に話したのが俺とかやめてよ」って言いました。
私は瞬間的に笑ってしまって「ウマいな!」と言いました。
そして私は「あー恥ずかし。しょうもないこと言ってゴメン」となりました。
その友達は励まし方がわからず、私の死にたい気持ちもわかり、
止めても死にたいヤツは死ぬだろう。だとして、
じゃあ最後に話したのが自分ってなるのは実際に死なれたあと後味が悪いから嫌だ、と。
本気でそういう考え方をしたみたいです。
実際に確認したので間違いないです。
いや、もちろん心配もしてくれただろうし、死なれたら嫌だって友情も思ってくれてたと思います。
ただ、結果的に最高な返事をしてくれたなと思いました。
面白いなぁ。さすが俺のツレ(笑)
友達が死ぬって言ってるのに自分の後味を考えるとは(笑)
私はその時、3年間は失恋を引きずった覚えがあるので、自分なりに本気で沈んでたのは間違いないです。
けど、恥ずかしくて「死にたい」とか「死のうかな」って人に言えなくなりました。
本気で考えることがなくなったので、それは私にとって良かったことです。
–
という昔話をカウンセラー仲間の交流会で話して、
「それはないわ(笑)」とか
「それカウンセラーが言っちゃダメだし(笑)」とか
「その友達ヒドくない?(笑)」とか、
みんな反応してくれましたが、たしかにカウンセラーという立場では
言えることと言えないことがあり、
言うべきことと言っちゃダメなことがあります。
でも杓子定規で教科書通りな話はしたくない私としては、
もしかしたら今後、死にたいって言う人に
「いいけど、話したの俺が最後とかやめてよ」って言ってしまうかも。
言っちゃっていいのかな?
言っちゃったらダメなのかな?
言えるぐらい信頼があればブレーキの言葉に成り得るかな?
いやいや、ダメですね。
考えるまでもなくダメです。
わかってますよ、えぇ、大丈夫です。
大人ですから。
それで死なれたら困りますから。
うーん。でも俺は言われて面白かったけどなぁ。
じゃあ俺は大して悩んでなかったのかな。
いや、そんなことはないと思うけど・・・。
まぁ、つまり思考の向きを言葉一つで変えてくれた実例ということですね。
実はものすごく大事なことですよね。
カウンセラーには言うことができない言葉でした。
【滋賀心理カウンセリング】でした。